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【 連載コラム 】

大切なことは疑問を持ち続けること(2)

さて、J.J.トムスンの発見によって電子が原子の構成要素の一つであることがわかり、ラザフォードらの発見によって元素は変わりえることがわかりました。

2019-08-23 09:57

さて、J.J.トムスンの発見によって電子が原子の構成要素の一つであることがわかり、ラザフォードらの発見によって元素は変わりえることがわかりました。これらの成果は原子が内部構造をもつことを意味しています。
そうなると、必然的に原子の詳細について様々な議論が沸き上がってきました。今回は主な原子モデルの変遷を中心に、放射線とその周辺分野の発見を辿ります。

  • 1903年、J.J.トムスンは、原子モデルとして、正に帯電した球体の中に電子が一定の規則で配列するプラム・プディング(ぶどうパン)モデルを提案しました。
  • 同年、日本の物理学者長岡半太郎は、当時の電磁気学の知識に照らして、プラム・プディングモデルのように正の電荷と負の電荷が同じ空間に共存することは困難であると考えました。そして、正の電荷を持った、電子よりも大きな質量の核が中心に存在し、その周囲を複数の電子が周回する土星モデルを提案しました。これは原子の有核モデルとして知られています。この論文は、翌1904年、イギリスのPhilosophical Magazineに掲載されました。
  • 1906年、ラザフォードは、アルファ線の「質量に対する電荷の比」が水素イオンの2倍であることを発見し、アルファ線がヘリウムの原子核であることを突き止めました(ヘリウムは1868年、太陽コロナのスペクトル分析によって発見されましたが、地球上で見つかったのは1895年です。)。
  • 1911年、ラザフォードは、アルファ線を金箔に当てて反射の確率と角度を測定しました。その結果、原子の中心に正の電荷をもった極めて小さなサイズの核が存在することを確信し、その周囲を電子が周回するモデルを提案しました。長岡の土星モデルと似ていますが、正の電荷をもつ核が極めて小さいという点で異なります。更に電子の数は中心の核の正電荷の数と等しく、これらの数字が原子番号に相当することがわかりました。しかし、このモデルは電子の軌道が不明であり固有スペクトルを説明できない、電子の円運動は電磁放射によってエネルギーを失うので安定に存在しえないという点で不完全でした。ラザフォードの有核モデルは長岡に遅れること8年、長岡と同様Philosophical Magazineに論文が掲載されていますが、土星型モデルには触れていません。長岡は晩年、「ラザフォードは私の土星型モデルの論文を読んでいないと言っているが、知っていたに違いない。」と述懐しています。
  • 1912年、ドイツの物理学者ラウエは、X線が紫外線よりも波長の短い、即ちエネルギーが大きな電磁波であることを確認しました。
  • 1913年、デンマークの理論物理学者ボーアは、ラザフォードの原子モデルにおける電子の軌道は不連続の固有のエネルギー準位(量子化されている)を取り、原子のように小さな環境では円運動の電磁放射は発生しないと仮定し、安定な状態を維持する「ボーアの原子モデル」を提案しました。水素原子は、ボーアのモデルから予測される原子スペクトルの波長が実測値と一致しました。しかし、これらの仮定の根拠は不十分でした。
  • 同年、ソディは化学的性質が同じで原子量が異なる原子として「同位体(isotope)」の概念を提案しました。
  • 1914年、ラザフォードは、ガンマ線がX線よりも波長が短い電磁波であることを発見しました。電磁波のエネルギーは、ガンマ線>X線>紫外線の順になります。
  • 1919年、ラザフォードは原子核の中に陽子(proton)の存在を確認し、翌年中性子(neutron)の存在を予言しました。
  • 1932年、イギリスの物理学者チャドウィックは原子核の中に中性子を発見しました。これで原子核が陽子と中性子で構成されることがわかり、ようやく原子番号と質量数が区別できるようになりました。
  • 同年、アメリカの原子物理学者アンダースンは、宇宙線の中に正の電荷をもつ電子、陽電子(positron)を発見しました。

量子論を取り入れたボーアの原子モデルは、1920年代に量子力学によって修正されました。量子力学は電子が原子核を周回するのではなく、原子核の周辺に、ある確率で出没することを示しました。現在はこれが正しい原子の姿と考えられています。原子は物理学の一分野に過ぎませんが、放射線の発見は物理学のブレークスルーの端緒を開いたと言えます。この発見に携わった科学者にとっては、寝食を忘れて研究に没頭する夢のような時代だったと思われます。互いに交流があり、研究成果も共有していましたが、そこには熾烈な競争があったようです。
こうして、原子は物質の最小単位ではなくなりましたが、物質の性質は原子番号によって決まるので、原子は「物質の性質を維持する」ための最小単位とは言えます。