会員限定

会員ログイン

【 連載コラム 】

膨大な研究の積み重ねから生まれた果実(3)

2020-10-26 11:03

 放射線のエネルギーが極めて高いことは、このシリーズの「敵を知り己を知れば・・・(1)」(2019年11月26日)で紹介しました。放射線の検出感度が高い理由はここにあります。一方、放射性同位元素から放出される放射線の数は多くありません。例えば、医療器具の滅菌に使用されるコバルト60(50PBq:500億×百万Bq)から1秒間に放出されるγ線の数は、晴れた日の地面1平方メートルに1秒間に降り注ぐ太陽光の粒子(光子)数の十万分の一程度、室内の蛍光灯の百分の一程度です。従って総エネルギーはそれほど高くなく、工業的な利用においては大きなメリットです。今回は、工業と農業における放射線利用の一端を簡単に紹介します。

1.放射線照射
 高エネルギーのX線、γ線、電子線、重粒子線などを使って、滅菌・殺虫、品種改良、物性強化を目指します。
 
1-1.医療器具・医薬品の滅菌
 酸化エチレンガスや高圧蒸気などによる滅菌法と比較すると、放射線は最終包装形態で滅菌することにより滅菌後の汚染がない、照射後に化学物質が残らない、滅菌温度は常温であり熱に弱い素材にも適用できる、などのメリットがあります。特に、酸化エチレンガスは毒性が強く排出規制もあるので放射線滅菌に置き換わりつつあります。最近では、救急絆創膏や点眼薬などの医薬品の滅菌にも放射線が使われています。
1-2.食品照射・食品容器の滅菌
 食品保存、鮮度維持、食中毒防止、植物防疫などの手段として、放射線滅菌は最終包装形態で処理できること、非加熱であることが大きなメリットです。2013年現在、約40の国と地域で、穀物、香辛料、食肉、魚介類、果実などの食材、病人食や宇宙食、更に海外からの輸入植物の防疫に適用されています。日本でも、ジャガイモやタマネギの芽止め、コメや小麦の殺虫、水産練り製品やウインナーソーセージの殺菌などで安全性に問題がないことを確認しました。しかし放射線照射には強い反対意見もあり、現在、照射の対象と目的はジャガイモの芽止めに限られています。
一方、ペットボトルなどの食品容器や食品包装材の滅菌には、滅菌剤に代わって放射線の利用が増えています。
1-3.農作物の育種
 放射線照射で突然変異を誘発し、効率的な育種によって有益な品種を作製します。品種間の交配による育種と比べて、目的の形質が既存の品種に見つからない場合や特定の形質のみを改良したい場合にも有効であり、新しい形質の開発が可能であるなどのメリットがあります。これまでに、草丈が短く倒伏を軽減することによって収穫量を改善した米、特定タンパク質の含有量を抑制した低アレルゲン米、腎臓疾患用の低グルテン米が作られました。これらは更なる品種改良の遺伝子源として利用されています。その他、酒の味を左右する心白出現率を高めた酒造米、成育期間を短縮した大豆、黒斑病に強い梨などが作られています。また、花卉の品種改良にも利用されています。
1-4.害虫の駆除
 特定の害虫のサナギにγ線を照射して、生活力を維持した不妊オスを作製し、自然界に放ちます。メスが不妊オスとの交尾で産卵した卵はふ化せず、その害虫の増加を抑制します。これは不妊虫法と呼ばれます。農薬などの殺虫剤と比較すると、種を特定できるので無害の昆虫や農作物、さらに環境に影響を与えない点がメリットです。日本では南西諸島、沖縄、小笠原諸島のミカンコミバエに適用されて成果を上げています。アフリカのタンザニアのザンジバル島(屋久島と種子島と奄美大島を合わせぐらいの広さ)では、この方法でツェツェバエを根絶させ、人畜の被害が激減したそうです。
1-5.工業用高分子材料の物性強化
 プラスチックや天然ゴムなどの高分子製品にγ線や電子線を照射すると、高分子の結合が切れて短い分子、或いは高分子間に新たな結合(架橋)が生じます。照射条件の調節や高分子の化学構造の選択によって架橋を増やすことができます。架橋が増えると機械的・熱的強度が向上します。熱可塑性樹脂などの成形しやすい素材で作成した製品の物性強化に利用できる点がメリットです。耐熱性と絶縁性を改善した電線被覆材や耐熱セラミック繊維、機械的・熱的特性を改善した発泡材、形状記憶による熱収縮材料などが作られています。
2.検査法
 放射線の高い透過性と検出感度を利用して、建造物の安全性や工業製品の品質を調べます。使用する放射能は、放射線照射の一千万分の一から一万分の一程度です。
2-1.非破壊検査
 医療のX線診断と同じ原理で、原子力発電所、プラント、鉄道、航空機、橋梁、ビルなどの構造物の傷や空洞の有無、金属溶接部の歪や材質劣化の有無、或いは食品中の異物混入検査などに、γ線、X線、中性子線などが使われています。JIS規格で使用法や判定基準が定められています。
2-2.厚み計
 紙類、不織布、プラスチックフィルム、ガラス繊維クロス、金属箔、或いは鉄板の製造工程で放射線を当て、その透過量を測定することによって厚みの均質性を検証します。材質に応じてβ線、γ線、X線が使われます。

 放射線は多くの産業に新たな可能性をもたらす有用な道具ですが、負のイメージを拭いきれていません。特に食品照射には根強い拒絶反応があります。国連食糧農業機関、国際原子力機関及び世界保健機関が共同で設立した国際食品照射諮問グループは、様々な放射線照射食品について安全性を確認しており、食品の放射線照射は他の調理法と同等に安全であると結論付けています。日本食品照射研究協議会は食品照射の有効性に関する知識の普及に努めています。不安な場合はホームページを訪ねてみましょう。経済的に見合うのであれば、食品の放射線照射は大変有用な手段です。