過酷な極限環境の一つは極地、高山、深海などの低温環境です。北極のホッキョクグマやホッキョクギツネ、南極のコウテイペンギンなどは-50℃前後の環境でも棲息しています。しかし、彼らは恒温動物ですので通常は体温が37℃前後に保たれています。つまり生命活動の至適温度が低いわけではありません。今回ご紹介する極限環境生物は、低温が生命活動に適している生物です。
1. 好冷生物
最初は好冷細菌です。好冷細菌とは低温に耐えるのではなく、低温が増殖に適している細菌です。およそ半世紀前に、好冷微生物とは0℃前後での生育が可能で、至適増殖温度が15℃以下、増殖上限温度が20℃以下の微生物と定義されています。因みに通常の環境に棲息している枯草菌は27~37℃、大腸菌は32~41℃、ビール酵母は25~30℃が至適増殖温度です。著者らが富山湾で捕獲したニギスという魚の腸内から分離した好冷細菌は、8~12℃が至適増殖温度で、20℃では増殖しません。これでも十分に好冷細菌と言えますが、更に低温で生育可能な好冷微生物が分離されています。例えば、アラスカの凍結土壌からは-8℃で生育する真菌(カビや酵母)や-5℃で生育する細菌が、南極の凍結した湖の氷からは-8℃で生育する細菌が、チベット高原の氷河からは0℃で生育する細菌が、北極海に面したアラスカのバロー岬の海氷からは-12℃で生育する細菌が分離されています。
低温環境で生育する生物は細菌や真菌などの微生物に限りません。例えば、南極に棲息する地衣類は-15℃で光合成が確認されたそうです。極地に限らず高山の雪の中に棲息する氷雪藻と呼ばれる藻類の至適生育温度は1~4℃です。多くの氷雪藻は10℃を超えると生育できないそうです。北海道の雪渓に棲息するセッケイカワゲラは翅が退化した昆虫で、0℃では活発に活動しますが、20℃では動けないそうです。昆虫の低温記録は、ヒマラヤのヤラ氷河に棲息するヒョウガユスリカの-16℃と言われています。やはり翅は退化しています。北米の氷河に棲息するコオリミミズは長さ1cm程度の細長い生物で、至適生育温度は0℃付近と言われています。南極海に棲息するコオリウオ(ノトセニア科)は-2℃で活動しています。
2. 低温で生命活動を支える物質
低温で活動する生物には、その温度で代謝などの生化学反応を触媒する酵素が必要です。その様な酵素は好熱細菌の酵素と対照的に、アミノ酸側鎖間のイオン性の結合が少ないので低温で構造が変化しやすく、高温では壊れやすい性質を持っています。一方、反応速度は温度が高いほど速いので、低温で活性が高い酵素でも構造が壊れない限り温度が高い方が活性は高いと言えます。
また、イオンチャネルのような膜タンパク質が機能するには、適切な構造変化を可能にする細胞膜の流動性が必要です。細胞膜の主な素材はリン脂質です。リン脂質はグリセロールにリン酸と脂肪酸が結合した分子です。脂肪酸の炭素間結合に不飽和結合が存在すると脂肪酸の構造は少し曲がるので細胞膜のリン脂質間に空隙ができ、分子が動きやすくなります。また、脂肪酸に枝分かれの結合があるとやはりリン脂質間に空隙ができます。通常、不飽和結合は脂肪酸の中ほどに、枝分かれは末端に存在します。細胞膜の流動性は、不飽和結合、或いは枝分かれを持つ脂肪酸の割合が多いほど高くなります。実際、好冷細菌の細胞膜リン脂質の脂肪酸は不飽和度が高いことが知られています。また、一部の好冷細菌の細胞膜リン脂質には炭素原子20個、不飽和結合5個のエイコサペンタエン酸や、炭素原子22個、不飽和結合6個のドコサヘキサエン酸が多く含まれています。これらは細胞膜の流動性を高めること以外にも機能を持つと考えられますが、まだ未解明のようです。
氷点下での生命活動を可能にするには、体液の凍結防止が必須です。不凍タンパク質(antifreeze protein: AFT、抗凍結タンパク質とも言います)は氷の結晶表面に吸着して結晶の成長を阻害することにより凍結を防ぎます。凝固点降下作用とは異なると言われています。細胞内のグリセロールや糖類は凝固点降下によって凍結温度を下げます。これらの凍結を防止する物質は低温環境に棲息する生物のみが産生しているわけではありません。通常の環境でも冬期には外気温が氷点下まで下がりますので、私たちの身近な作物や昆虫にも不凍タンパク質やグリセロールや糖類などが含まれています。
3. 好冷生物の利用
好冷生物そのものの利用法としては、特に寒冷地での排水処理や、油で汚染された土壌などのバイオレメディエーションがあります。北海道の酪農施設の排水処理には、南極の昭和基地周辺から分離された好冷酵母が既に利用されているそうです。不凍タンパク質は、冷凍食品の凍結時の氷結晶生成による組織変性に伴う品質の低下を防ぎます。冷凍めん類、冷凍ご飯、冷凍卵製品など、既に多くの冷凍食品に利用されているそうです。好冷生物が産生するプロテアーゼやリパーゼなどの分解酵素も低温での利用が期待できます。例えば、寒冷地の水道水でも活性を示す洗剤用酵素、低温処理により腐敗を抑制する食肉の熟成などの食品加工用酵素などです。しかし、ここで紹介したような極限環境生物由来の低温酵素の産業利用はまだ実現していないようです。酵素の低温活性機序を解明し、遺伝子利用も可能になる研究の成果が待たれます。