今回は高圧環境の生物です。圧力には、「標準大気圧:atm(気圧)」「パスカル:Pa」、「バール:bar」、「トール:torr」、「ミリメートル水銀柱:mmHg」、「メートル水中:mH2O」など、私たちが目にするものだけでも多くの単位があります。1気圧(atom)は、101,325Pa≒0.1MPa、1.013bar (1,013mbar)、760Torr、760mmHg、10.332mH2Oです。地球表面では1気圧、標高1,000mでは0.89気圧、水深1,000mでは100気圧(10MPa)です。地下の圧力は土壌の種類によって異なりますが比重を3とすると、地下1,000mでは300気圧(30MPa)です。従って、高圧環境は深海、或いは地中の深部です。
深海での生物の探査には、高圧に耐える装置が必要です。現在の潜水記録は2019年5月に米国の元海軍士官がマリアナ海溝で潜った水深10,927mですが、科学的な調査は行っていません。日本は有人探査機「しんかい6500」と無人探査機「かいこう」を使って深海を、地球深部探査船「ちきゅう」を使って海底下の深部地下を調査しています。
1. 深海の生物
深海には光が届かず高圧環境であることから、生物は希薄だと考えられていました。しかし、近年の調査によって多様な生物が存在していることが明らかになりました。マリアナ海溝の水深10,900mから採取された細菌Shewanella benthicaは70MPaで最もよく生育し、50MPaを下回る圧力では生育できません。同じくMoritella yayanosiiの生育最適圧力は80MPaで、50MPaを下回る圧力では生育できません。このような細菌を絶対好圧性細菌(extremely piezophilic bacterium)と呼びます。至適生育圧力が40MPa以上で、大気圧では生育できない細菌を好圧性細菌(piezophilic bacterium)と呼びます。
深海の好圧生物は微生物だけではありません。水深6,400mではシロウリガイが、水深7,400mではハナシガイの一種のナラクハナシガイの生息が認められています。これらは二枚貝ですが消化管を持っていません。これらの共生細菌は海底の熱水孔から噴出するメタンや硫化水素を使って有機物を合成します。これがシロウリガイやハナシガイの栄養源と言われています。
魚類も発見されています。これまでの記録はプエルトリコ海溝の水深8,370mで捕獲されたヨミノアシロ(アシロ目)ですが、水深データについては信頼性に欠けると言われています。確かな水深の記録はマリアナ海溝の水深8,178mのシンカイクサウオ(深海性カサゴ目)です。この魚は餌のサバに群がっているところが撮影されました。マリアナ海溝の水深10,600mからは甲殻類のヨコエビが採取されています。シンカイクサウオはヨコエビを捕食しているそうです。
2. 深部地下の生物
地中の深部も岩石や化石燃料が存在する無生命の世界と考えられていました。しかし、泥や岩石の間隙や地下水中には、その環境に適した多くの種類の真性細菌や古細菌が生息していることがわかってきました。深部地下(deep subsurface)では、光が届かず酸素が少ないと考えられています。油田やガス田では酸素がない代わりに有機物が豊富である一方、海底の堆積層では高い水圧により溶存酸素が豊富で有機物は少ないと言われています。深部地下に生息する微生物のエネルギー獲得方法は、その環境に合わせて、酸素を必要としない嫌気的代謝(anaerobic metabolism)、或いは酸素を使う好気的代謝(aerobic metabolism)であり、利用する栄養源も様々です。例えば、海底のメタンハイドレート(methane hydrate)を形成するメタン産生菌(methanogenic bacterium)は、一般に嫌気的環境で生育する古細菌であり、そのメタンを栄養として生育するメタン資化菌(methanotrophic bacterium)は好気的環境にも嫌気的環境にも生育しています。現在までに確認されている微生物は、採取した土壌などから実験的な培養条件で生育した微生物ですので、実際の地下環境に生息しているすべての微生物を確認したわけではありません。地下100m以深は深部地下生物圏(deep subsurface biosphere)と呼ばれています。地下の温度は深くなるほど高くなります。好熱細菌の記録(122℃)を参考にすると、地表からは3,500~5,000m、海底からは2,000mが生物圏の限界と考えられているようです。深部地下生物圏に生息する微生物の重量(バイオマス)は陸上の全生物に匹敵するとも言われています。
微生物以外の生物としては、南アフリカの金鉱の地下900~3,600mから線虫(nematode)が見つかりました。この線虫は低酸素環境下で微生物を捕食していると考えられています。
3. 好圧細菌の利用
好圧細菌や好圧生物の利用についてはまだ方向性が見えていないようです。その要因は好圧生物の研究が少ないことにあります。最近、好圧細菌と通常の細菌のイソプロピルリンゴ酸脱水素酵素(isopropylmalate dehydrogenase)のアミノ酸配列(amino acid sequence)が比較されました。その結果、266番目のアミノ酸は通常の細菌がセリンであるのに対し、好圧細菌ではアラニンでした。両者は活性中心付近の水分子に対する親和性が異なることがわかりましたが、耐圧性との関連は不明です。
一方、地下深部に生息する細菌が産生したメタンやメタンハイドレートはエネルギー資源として利用されています。日本では千葉県を中心として、東京、神奈川の一部の地下100mから3,000mに存在する地下水にメタンが溶けていることが知られています。これは南関東ガス田と呼ばれ、現在でもメタンは産生され続けています。このガス田のメタンは千葉県の住宅などで利用されています。その埋蔵量は、現在の使用量を続けると600年分と言われています。
好圧細菌の利用については今後の研究成果が待たれます。その一方で、地球外生命体の発見への期待も膨らみます。金星の地表は9MPaですので地球の好圧生物が耐えられる圧力ですが、平均温度は460℃なので生物の存在は難しいと思います。火星の大気圧は地球の6/1000で平均温度は氷点下60℃と言われています。表面には生物の痕跡すらまだ見つかっていないようですが、地下の嫌気的環境では生物が生息していても不思議ではありません。火星では4台の探査機が活動しています。これからの成果が楽しみですね。