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【 連載コラム 】

ウイルス:変わる概念

新型コロナウイルスのデルタ変異株は予想以上に手強いですね。ラムダやミューなどの新たな変異株も注目されています。

2021-09-14 13:31

 新型コロナウイルスのデルタ変異株は予想以上に手強いですね。ラムダやミューなどの新たな変異株も注目されています。コロナウイルスやインフルエンザウイルスの遺伝子は1本鎖RNAですので、宿主細胞内での複製の際に遺伝子配列の読み間違えが生じても、修復されずにウイルスが再構築される可能性が高いと言えます。その読み間違えがウイルスの増殖にとって都合がよいと変異株として生き残ります。宿主にとっては厄介なウイルスです。しかし全てのウイルスの遺伝子が1本鎖RNAというわけではありません。2本鎖DNA、1本鎖DNA、2本鎖RNAなど様々です。一方、生物は原核生物も古細菌も真核生物もすべて2本鎖DNAですので、ウイルスの遺伝子は生物よりも多様です。ウイルスとはいったい何者なのでしょうか。今回は、変わりつつあるウイルスの概念をご紹介します。

1. 既成概念

 1892年に、タバコの葉に発生する病変がバクテリアよりも小さな病原体によって引き起こされる、と報告されたのがウイルスに関する最初の記述と言われています。この病原体は、細菌濾過器と呼ばれるバクテリアを通さない素焼きの陶器の小さな穴を通りました。当初はタンパク質のような毒素、或いは極めて小さなバクテリアと考えられたそうです。1898年、オランダの微生物学者マルティヌス・ウィレム・ベイエリンクは、この病原体はバクテリアではないこと、タバコの葉の細胞中では自己増殖することを発見しました。そして、実体を見ることができないこの病原体を「ウイルス」と名付けました。これがタバコモザイクウイルスです。
 その後、黄熱ウイルス、鳥インフルエンザウイルス、ポリオウイルスなどが次々と発見されました。いずれも細菌濾過器を通り、ヒトを含めた動物の病気を引き起こします。野口英世博士は、黄熱病の病原菌と思われるバクテリアを特定してワクチンを作り、自身にも接種してガーナで研究を続けましたがその途上で黄熱病に感染して1928年に他界しました。黄熱病の正体がウイルスであることを知らなかったそうです。スペイン風邪は1918年に世界中に広まりましたが、この時は1890年頃に分離されたインフルエンザ菌(Haemophilus influenzae)を病原菌と間違えてワクチンを作製したそうです。光学顕微鏡では見えないウイルスの姿は1932年に電子顕微鏡を使って観察されました。その後の電子顕微鏡の性能の向上とともに詳細な構造もわかってきました。ウイルスは、遺伝子としてDNA或いはRNAと、それらを包み込むタンパク質からできたキャプシドで構成されています。ウイルスによっては、更にキャプシドを包み込む脂質二重膜のエンベロープを持っています。キャプシド或いはエンベロープの外側には、宿主を認識する(選択するとも言えます)タンパク質或いは糖たんぱく質が存在します。
 こうして、ウイルスとはバクテリアよりも小さく、自前でエネルギーを生産することはなく、遺伝子は複製と構造の維持に必要ないくつかのタンパク質だけをコードしており、宿主細胞のタンパク合成装置を利用し、遺伝子やタンパク質の原料も宿主細胞から調達して増殖する病原体、という認識に至りました。しかし、その認識から外れるウイルスが見つかりました。

2. 新情報

 2003年、フランスで発見されたウイルスは、ほぼ正二十面体のキャプシドのサイズが0.4~0.5m、キャプシド表面に存在する繊維層を含めると0.8mです。因みに大腸菌は直径1m、長さ2m程度、ブドウ球菌は直径0.8m程度です。このウイルスは光学顕微鏡で観察できたので、当初はバクテリアと考えられたそうです。しかし、キャプシドの内側には脂質二重膜があり、その中に格納された2本鎖DNAにはタンパク質合成装置であるリボソームの遺伝子がなく、細胞小器官もないことからウイルスと分かりました。DNAのサイズは120万塩基対(1.2Mbp)、タンパク質をコードしている遺伝子の数は900で、新型コロナウイルスやインフルエンザウイルスの50~100倍です。その中にはタンパク質合成に必要なtRNA合成酵素も含まれています。このウイルスは宿主であるアメーバに感染すると、アメーバのタンパク合成装置を利用せずに、アメーバ細胞の中で自身の複製装置を構築してその内部で遺伝子を作り、その周囲でタンパク質を合成して増殖します。バクテリアに似ているという意味でミミウイルスと名付けられました。2013年には、楕円形で長径が1mを超えるパンドラウイルスが発見されました。このウイルスの遺伝子は2500もあり、その95%は既存の遺伝子とは異なるそうです。つまり未知のたんぱく質の設計図です。2019年に北海道で発見されたメドゥーサウイルスは、正二十面体の直径が0.25m、DNAサイズも0.38Mbpでそれほど大きくありませんが、遺伝子の中にはヒストンというタンパク質の設計図が含まれています。ヒストンはヒトも含めた真核生物の染色体を構成するのに必要なタンパク質で、バクテリアにはありません。これらのウイルスは巨大ウイルスと呼ばれています。現在のところ、エネルギーを産生するウイルスは見つかっていません。
 2009年には巨大ウイルスに感染するヴァイロファージと呼ばれるウイルスが発見されました。ミミウイルスに感染したヴァイロファージは、ミミウイルスがアメーバ内に自身の複製装置を作ると、その中でヴァイロファージを複製し、ミミウイルスの複製を抑制します。ミミウイルスはヴァイロファージに対する感染防御機構も持っているそうです。

 ウイルスと生物の関わりは大きな謎の一つです。古細菌にウイルスが感染して真核生物へと進化したという説もあります。また、ヒトのゲノムの10%はウイルス由来とも言われており、その一部は胎盤形成など重要な役割を担っていることが知られています。ウイルスが生物の三つのドメインに含まれないことは確かです。ウイルスと生物は共通の祖先から分岐したのか、まったく別の系統樹を持つのか。今後の研究の進展が楽しみです。